国際協力事業

競輪補助事業報告

この事業は、競輪の補助金を受けて実施したものです。

補助事業番号
18-151
補助事業名
平成18年度 カンボジアの通信情報基盤整備に関する調査研究等補助事業
補助事業者名
財団法人 KDDIエンジニアリング・ アンド・コンサルティング

1. 補助事業実施の背景と意義

(1)背景

(財)KDDIエンジニアリング・アンド・コンサルティング(KEC)は、1974年に設立以降、国際電気通信に関する調査、研究、情報の提供およびその技術利用に関するコンサルティング等を行うことにより国際通信の発展と社会、経済、文化の進展に寄与してきました。 2005年2月には「KEC創立30周年記念チャリティコンサート(クラシック音楽)」を開催し、その収益金およびKDDIからの協賛金等の寄付金(US$16,800)を、NGO:Japan Relief for Cambodia(JRfC)を通じてカンボジア国へ寄付しました。この寄付金は、カンボジアの子供達のために、学校1棟の建設、太陽光発電装置の設置、本箱の購入、インターネットアクセス環境や英語を教える教師の給与に使用されました。本寄付金による小学校1棟は、2005年11月に開校しました。また、2006年2月には2回目のチャリティコンサートを開催し、2006年12月に開校しました。

弊財団は、このチャリティコンサートの開催、寄付活動および学校建設を通じて、カンボジア国における小・中学校のインターネット接続環境が不十分であること、故に同国の持続的な発展に必要な、子供達に対するIT教育環境が不十分であることを理解し、この課題を克服するためには、同国の学校インターネット接続環境整備が肝要であると認識しました。このためには、電気通信基盤の現状および将来計画について把握することが重要であると考えました。

(2)意義

そこで、カンボジア国に対する電気通信国際協力推進の一環として、同国における有線電気通信網、無線電気通信網等の電気通信基盤市場の現状および将来を把握するための調査を行うことを計画しました。本調査の過程において日本の電気通信機械製品の優位性を同国関係者に紹介することができ、同国の電気通信基盤市場について日本に紹介することができ、有意義なものとなると考えました。

なお、将来的に日本からの様々な寄与のもとに、同国においても学校インターネット網が構築された暁には、日本の電気通信機械製品が同国に普及していく格好の機会になると思われます。さらに、同国の小・中学校で学ぶ児童たちが、日本からの電気通信機械製品にふれあうことにより、将来、成人した際には日本との交流がより強くなっていくことを期待します。

2.補助事業の目的

カンボジア国における電気通信基盤市場の現状と将来計画について調査研究を行なうことにより、わが国の電気通信機械工業における国際競争力の向上を図り、もって機械工業の振興に寄与することを目的としました。

3.補助事業の実施内容

(1) 実施事項

上記目的達成のため、カンボジア国の通信情報基盤整備に関する調査研究事業を実施しました。

(2) 実施方法と場所

2006年4月22日(土)から同年5月2日(火)まで、カンボジア国で政府関係機関および通信事業者を訪問し、面接、資料収集等による現地調査を実施しました。
また、帰路、タイ国でカンボジア国の現地情報に詳しい国際機関(APT)を訪問し、カンボジア国電気通信に対する国際機関の支援動向について情報を入手しました。

(3) 事業成果の公表方法

以下の調査報告書および記事により事業成果を公表しました。

  1. カンボジアの通信情報基盤整備に関する調査 (調査報告書)
  2. 復興に向かう神々の国カンボジア (情報通信 BULLETIN 11月号) (以下に掲載)

以上

復興に向かう神々の国カンボジア

カンボジアの姿

カンボジアといえば、一般的な日本人が連想するのは、「アンコールワット」と「地雷」だろう。「神々が舞い降りた」と形容されるアンコールワットやその陰で知られざる存在になっている寺院遺跡には、ヒンドウー教や仏教の神々の世界が彩られている。そして、アンコールワットの遺跡群には、王権を神格化するために宇宙観が漂っているという。実際に、宇宙からアジアの夜景を見てみると、カンボジアの夜は神秘的に暗い。日本は国全体がネオンサインのように光り輝いているが、カンボジアは位置を特定するのがむずかしい。

2006年4月下旬に、カンボジアを訪れる機会を得た。バンコクを夕方飛び立つプノンペンまでの夜行使を利用すると、眼下には暗闇だけが続く。国の表玄関といえる空港から市内に向かう道路でさえ街灯がついてない。明かりは車のライトだけである。暗闇が街を包んでもしばらくは、道路の両側に人々が溢れて、道行く車を何とはなしに眺めていたり、縁台を囲んで雑談をしていたりしている。生活が道路にあふれている。日が暮れたこの時間帯に何をしているのか、はじめのうちはわからなかった。しばらくして、夕涼みをしているのだと悟った。カンボジアの4月は真夏。日が暮れても家の中はまだ暑い。クーラーがないので、夕方は外に出たほうが涼しい。当然、ご近所との付き合いも広まる。昔の日本の風景もこんな感じだったのかもしれない。ご近所同士の関係が薄くなったと嘆く人がいるが、クーラーなどの文明の利器がいきわたり、夕涼みなどのご近所との付き合う機会を奪っていったのだろう。

カンボジアの夜が暗いのは、極端な電力不足のためである。このため、電気料金は日本よりも高い。日本大使館のアタッシエによると、独身でも日本と同じように電気を使用すると毎月2-3万円かかるという。隣国と比べても、ベトナムの3倍、ラオスの5倍の料金水準である。電力不足に対処するため、首都のプノンペンでさえ、1日2-3回の停電が日常茶飯事である。

美しい街、プノンペン

プノンペンには、「東洋のパリ」と謳われたこともあるように、現在でもフランス植民地時代の美しい街並みが残っている。シンガポールが都市計画を作成する際に、このプノンペンを参考にしたという話もあるくらいだ。その後、シンガポールが目ざましい経済成長を遂げてアセアン諸国のリ-ダー的存在になっているのとは対照的に、カンボジアは最も開発が遅れているとされる後発開発途上国に位置づけられている。 1970年から1990年までの20年間にわたる内戦によって、国全体が大きな痛手を被った。ことに、毛沢東を心酔していた共産主義者ポルポトが率いるクメールルージュが政権をとった1975年からの4年間は、カンボジアにとっては暗黒の時代であった。貨幣制度が廃止され、都市に居住する中産階級の住民は強制的に農村に移住させられた。インテリ階級とされる知識人を初めとして、人口の20%に当たる170万人が奴隷状態のままに虐殺されたといわれている。ベトナム軍の侵攻により政権が崩壊し、ポルポト派はゲリラ化して、タイ国境の山間部に逃げこむ際に、大量の地雷を埋めこんだ。長い内戦でインフラストラクチャーは壊滅状態に陥り、カンボジア人はいまもなお地雷などの後遺症に苦しんでいる。

電力に限らず、生活の基盤となるインフラストラクチャーに満足なものは無い。鉄道は、旧宗主国フランスによって建設されたが、内戦により保守が行き届かず、線路は荒廃している。主要国道でも、簡易舗装で修理が行き届いていない。市内を走る乗り合いバスはきわめて少ない。政府は民間会社に公共乗り合いバスに関する長期間の免許を発行しているが、免許を取得した会社が不採算を理由に運行してない。市内を移動するための交通手段は主としてオートバイ・タクシーが主流である。お客を乗せるから一台のオートバイに二人乗りは当たり前。時々後ろの席に二人が乗っている3人乗りのオートバイも見える。まれではあるが、5人や6人乗っているオートバイも走ってくる。ここまでくると曲芸である。

ガソリンは1リットル100円ぐらいだ。ほぼ日本と同じ値段。しかし、日本の方が所得は圧倒的に高い。カンボジアでは労働者の平均年収が300ドルから400ドルぐらいだから、ここの人にとっては、非常に高いガソリンである。日本の所得水準に照らして、換算すると1リットル1万円前後の感じになるだろうか。車を満タンにしたら一回で40~50万円払う感覚である。これは現実的ではない説明としても、少なくともガソリン1リットルが1000円ぐらいの重い負担に感じているはずだ。毎回、車を満タンにすると4~5万払うことになる。日中、車でプノンペン市内を走ったが、信号機のついている交差点は10箇所程度と数えられるほどである。これが人口百万を越えるカンボジアの首都プノンペンである。

年寄りのいない街

経済は内戦の疲弊から立ち直りかけている。しかし、2004年の調査では国民の35%が、その日の健康を維持するために必要な食物を得るために必要となる1日44セントの貧困最低線以下の生活を送っているという悲惨な状態にある。その大部分は、人口の85‰が住んでいる農村地方である。農村と都市との貧富の格差が激しい。しかも、格差は以前よりむしろ拡大している。農産物のビジネス化が進展するにつれて小規模農家が生き残ることが難しくなっているからだ。現金が必要な農家は、仲買人に農産物を買いた叩かれる。田畑を担保に借金をして、農村から都市に出稼ぎに行く者が増えている。都市に出たものの、仕事が見つからず、家族に送金ができない。やがて田畑を失い、家族ともども都市に困窮者として流入する。このため、首都プノンペンではスラム世帯が急増している。

情報通信開発機構(NiDA)のノイ ショウンさんが、農村にも情報通信技術(ICT)が普及すれば、近隣の農産物の価格を知ることによって不当に買い叩かれずに済むし、高く売れる市場に出荷することもできるとICTを導入するメリットについて力を込めて語ってくれた。ノイさんは、カンボジア全体の情報通信の長短期計画を作成し、カンボジア政府の電子化を担当する役所で働いている。 ICT の普及こそがカンボジアの発展に大きく貢献してくれることを確信している一人である。今回の調査には、案内役を進んで買ってくれた。

ノイさんから夕食に誘われた。案内されたのは、地元では高級の野外レストランである。頭上では霧を噴出しながら風を送る大型扇風機が回っている。この霧吹き大型扇風機はこの近隣諸国では結構見かけるという。しかも、2-3度は温度が下がるそうだ。酔いが回ったのだろうか、聞くとは無しにノイさんは自分の生い立ちについて話し始めた。孤児院で育ったのだという。彼の父親は頭がはげていたので、インテリだろうということで殺された。14歳の頃に、街を追い出され、皆と一緒に山の方へ連れて行かれた。プノンペンはメコン川のほとりにできた川沿いの都市である。ホテルの窓から眺めると、はるかかなたに、うっすらと山の影がようやく見える程度である。子供だったので次第に調子が悪くなり、途中で歩けなくなった。一緒にいた兄が面倒見てくれた。兄と二人は、結局山へ行けなくなった。山へ連れて行かれた人は、その後誰一人として戻ってこなかったそうだ。思い出すたびに悲しくなると彼は、恥ずかしげに目にうっすらとたまった涙をぬぐっていた。

話を聞いた翌日、街に出てみると、お年寄りがいないことに気づいた。禿げている人。白髪の人がいない。皆、若い人ばかり。この国には、50歳代以上の人はほとんどいないようだ。高齢化社会を迎えた日本と異なり、65歳以上の人口はわずかに3.9%である。 これは、ポルポト政権時代の虐殺が大きく影響している。悲しい歴史がこの国の今の形に大きな影響を及ぼしている。

カンボジアの電気通信事情

地方と都市との格差が激しいのは所得ばかりではない。電気通信サービスも同じような状況にある。地方では、固定通信サービスを利用することはほぼ絶望的である。内戦状態に陥った時期に、プノンペン市以外では、電気通信設備がほぼ全面的に運用を停止せざるをえないほどに手ひどい損害を受けた。内戦終了後も、各地に数多く埋設された地雷や、再構築のための資金の欠乏で、固定通信設備を地方に拡張することは困難であった。固定通信の基幹網の構築には、外国からの援助に頼らざるを得ない事情である。カンボジア国土を横断し、タイとベトナムを結ぶ東西光ファイバケーブルは、1999年にドイツの援助によって完成した。現在、円借款による「メコン地域通信基幹ネットワーク整備計画」の実施が決定されている。

国内の基幹通信網の計画を初めとして、電気通信に関する政策や方針を立案し、規制を担当する機関が郵便電気通信省(MPTC)である。カンボジアでは、これまで統一的に網羅する電気通信法といった規程はなく、いくつかの法律や政省令、閣議決定に基づいて権限が与えられたり、規制措置がとられたりしている。法律が複雑に絡み合っていることや曖昧なことが、MPTCの権限を絶対的なものとしている。

一方で、MPTCは運用体部門も抱えていた。審判であるとともにプレーヤーでもあった。このような形態では、行政機関としての公平性と公正さを確保できるのかといった疑問は、絶えずつきまとうのが常である。通信網の発展という観点からも問題があった。MPTCが提供する固定通信サービスから得られる収入は国庫に納められる。その利益が電気通信分野以外の事業にまわされていることもあった。このことは、固定通信網の拡張にマイナスの影響をおよぼした。

このため、2000年ごろから世界銀行などの国際機関や民間コンサルタント会社からは、MPTCから運用体を切り離し、独立した規制機関を新設して市場を監督させることが何度と無くアドバイスされるようになっていた。カンボジア政府もその方向に沿った新しい電気通信法の草案を作成する作業を進めてきた。現在、新しい電気通信法の草案は最終段階にある。すでに、フン・セン首相の承認を得て、あとは国会での承認を待つだけである。電気通信法の成立に先行して、2006年1月には公社化したテレコムカンボジアが誕生している。 MPTC の国内、国際の通信部門を行政部門から分離独立させ、これに政府系のインターネットプロバイダサービス会社であるカムネット(Camnet)の三者を合わせた新しい運用体である。このテレコムカンボジアについては、2008年までの民営化も視野に入れている。

テレコムカンボジアは、主に固定系の通信サービスを提供している。この他に、固定電話サービスを提供している事業者として、国内サービスでは民間会社のカミンテルとカムシン、国際サービスでは、民族系のロイヤルテレコムインターナショナルがある。固定通信サービスを提供するこの4社に加えて、携帯電話サービスも4社がサービスを提供している。カンボジアの電気通信市場は全体の売り上げが、およそ年間30億円強と推定されている。市場規模のわりには通信事業者が多い。カンボジアの電気通信の特徴である。カンボジアの電気通信市場のもうひとつの特徴は、携帯電話の利用に偏重しているということである。一般的に、開発途上国では固定通信基盤が未熟であることや、決済システムが未発達のため、プリペード方式による携帯電話の普及が目ざましい。カンボジアも例外ではなく、電話加入者総数の90%以上が携帯電話の加入者である。しかも他の開発途上国と比べても、携帯電話と固定電話の加入比率が著しく乖離している。

カンボジアに携帯電話サービスが導入されたのは1992年末である。この時点では、930万人ほどの人口に対してカンボジアの固定回線は4000程度に留まっていた。1年後の1993年には世界で初めて、携帯電話回線が固定回線を上回る国になった。 2004 年末には携帯電話の加入者数は850、000以上を数えた。同じ頃の固定回線の加入者数は40、000回線以下であり、大きな隔たりがある。 2005年末には、携帯電話の加入者が100万人を越えたと推定されている。現在でも、携帯電話は急速な勢いで拡大を続けている。他方、固定通信は横ばい、ないしは微増に留まり、携帯電話回線数と固定回線数の乖離は、年々著しく拡大し続けている。

携帯電話サービスは4社がサービスを提供しているが、実質的には、モビテルの商標の下にサービスを提供しているカムGSMとカサコム、カムシンの3社で市場を分けあっている。過半数以上の市場シェアを占めるカムGSM(モビテル)は、今年の6月から第3世代(3G)サービスを開始する予定で準備を進めていた。しかし、その直前の5月下句、政府は突然3G携帯電話の利用禁止を発表した。フン・セン首相の妻を含む7人の政府高官の妻らが、3Gの携帯電話機にポルノなどの画像が流れることは、カンボジアの文化に悪影響を及ぼし、若年老病の心を蝕むとして、首相に3G携帯核利用禁止の請願書を提出したことが背景にある。禁止措置の対象となっているのは、映像を流すことができる3G携帯電話機のみで、インターネットを配信するISPは対象外となっている。3Gサービスが、首相の鶴の一声で禁止措置がとられてしまったことに対しては、世界の電気通信関係者から驚きの声が上がっている。政権の独裁的な性格を垣間見せている。

インターネット市場

固定回線が僅少なことは携帯電話の利用を後押ししたが、インターネットの普及では大きな遅れをとることになった。近隣の東南アジア諸国と比べると、普及率は著しく低い。 2006年5月現在、カンボジアには11社のISPがある。アクセスポイントヘの接続通信速度も日本に比べ非常に遅く、最速でも1Mbpsである。 2004 年のITU統計では、カンボジア国民約1、400万人に対してインターネット利用者(インターネットカフエの利用者も含む)は約41、000人と報告されている。カンボジア国民のインターネット利用率が低いのは、利用料金が際立って高いことやダイヤルアップアクセスに必要な固定電話回線が決定的に不足していること、初期インクーネットの普及段階で推進力的な役割を果たす学術ネットワークがないこと、クメール語のキーボードや人力機能が最近まで無かったこと、政府がインターネットの普及を制限したことなどが主要因である。これに加えて、識字率の低さもインターネット利用率に影響している。就学率の低さがもたらす識字率は、隣国のベトナムやタイに比べると非常に低い。国造りに必要な人造りの施設もカンボジアでは不足し、外国からの援助を必要としている。

モンドキリ

ポルポト政権が残したものは、荒廃した国土とスペシャリストがほとんどいなくなった国家であった。学校や教材の不足に加えて、教員が不足しているため、教育水準は低く、極めて深刻な状態にある。小学校は義務教育ではあるが、年間約32、000リエル(約960円)の授業料が必要だ。その他、教師の給料が低いので、1日約200リエル(約6円)払う必要がある。その小学校も校舎が無くて、2部制で授業を行ったりしている。このため、KECでは、2006年からチャリティコンサートを開き、得られた収益金でカンボジアに小学校を贈る運動を展開している。今回の訪問時、今年度KECが贈る予定の小学校の建設予定地として、モンドキリが先方からの提案として示された。ベトナムとの国境沿いの山間部である。いきなりモンドキリといわれても、どんなところか見当がつかない。 NiDA のノイさんにモンドキリとはどんなところかとたずねてみた。すると、意外な答えが帰ってきた。

ノイ
「ああ、あそこには行ったことがある。きれいな場所だよ。皆も見たことあるだろう、ウィンドウズの壁紙の写真にもなっている。デフオルトで出てくる草原の壁紙がモンドキリ周辺の丘だよ。」
KEC職員
「どうして米国人がそんなところを知っているのだ?」
ノイ
「ベトナム戦争のときに、あの辺にヘリコプターが墜落したりしているから、その周辺の風景を知っている米国人がいるのは珍しくないよ。」

ノイさんは、自分が撮影したというモンドキリ周辺の写真を見せてくれた。確かに、丘の感じはスクリーンセーバーの草原に似ているが、本当のところどうなのだろうか? 晩秋までには、今年2月に開催されたKECチャリティコンサート収益金や募金で建設されている新しい学校が完成する。ちょうど今頃は、モンドキリ(Mondul Kiri、州名)の子供たちが、旨をはずませて新しい学校に通い始めているはずである。

KECでは、2006年度日本自転車振興会の補助事業の一環として、同年4月下旬にカンボジア国を訪問し「カンボジア電気通信基盤市場調査」として報告書をまとめました。電気通信事情に関する記記述は、この報告書を基にしています。