プロフィール
2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教、東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授、東京工業大学科学技術創成研究院准教授を経て、2021年1月より東北大学大学院情報科学研究科情報基礎科学専攻教授。2021年東北大学総長・プロボスト室兼任。2022年東京工業大学理学院物理学系教授、東北大学ディスティングイッシュトリサーチャー。2019年に株式会社シグマアイを創業し、CEOに就任。多くの既存企業との共同研究により、量子コンピュータの利活用に向けて先陣を切る活躍をしている。
「量子コンピュータ」は、従来のコンピュータとは異なる作動原理で情報処理を行うコンピュータです。次世代のコンピュータとも言われ、「組合せ最適化問題」など、これまで解決が困難とされていた社会課題への新たなアプローチ法として期待されています。大関教授は、量子コンピュータの実現に不可欠な「誤り訂正技術」の性能向上や「量子アニーリング」のボトルネック解消など、基礎理論の進展に大きな業績を上げてこられました。また、スタートアップ、株式会社シグマアイを設立し、多くの企業との共同研究を通じて量子アニーリングの社会実装を推進、量子コンピュータの利活用に大きく貢献しています。
社会課題を解決する
最先端の技術
――量子コンピュータは従来のコンピュータとどのように違うのですか?
ご存知の通り、従来のコンピュータの計算原理は「0」と「1」のデジタル信号を用います。小学生の頃、指を折り曲げて計算していたように、指を立てないと「0」、立てたら「1」というように、2つのビットを使って計算するわけです。一方の量子コンピュータは、「0」と「1」ではない「量子ビット」を利用します。例えるなら、指を中途半端に折り曲げた状態で計算をしているイメージです。
もちろん、処理された回答は従来と同様に「0」と「1」で表現されるのですが、途中のプロセスが全く違います。指を立てたり立てなかったりというプロセスがないため、今まで多くの計算時間がかかっていたことを、とても効率的に、素早く処理できる可能性があるのです。
身近な例でご説明すると、外出する時にみなさんGoogleマップで経路検索をしますよね。目的地までのルートを示してくれる便利な機能ですが、コンピュータの中では、移動は電車なのかバスなのか、道を右に行くのか左に行くのかなど、たくさんの選択肢がある中から最善のルートを選択する情報処理が行われています。こうしたものを「組合せ最適化問題」というのですが、実は、世の中は組合せ最適化問題だらけなのです。ただ、社会的に非常に需要が高い問題でありながら、最適解を求めるには全ての選択肢を検証しなければならず、情報処理には莫大な時間が必要です。そのため効率的に情報処理が行える量子コンピュータへの期待が高まっています。
また、量子コンピュータには電力消費が非常に少ないという特徴もあります。従来のコンピュータのデジタル信号は、電気を流さないと「0」、大量に流すと「1」というスイッチのオン・オフで制御していますが、量子コンピュタは中途半端に指を折り曲げている状態ですから、スイッチのオン・オフがありません。「希釈冷凍機」と呼ばれる冷凍庫を用い、極低温環境の中で極めて微細な電気を流し続けます。電力消費が非常に少なく、省電力性という現実的な問題の解決手段としても期待ができます。
難解な問題を一瞬で解く
量子アニーリングマシン
――先生が量子コンピュータに取り組まれたきっかけはどのようなことだったのですか?
量子コンピュータにも種類があるのですが、その中でもパズルのように膨大な選択を必要とする問題を解く技術が「量子アニーリング」です。量子アニーリングは、日本人の門脇正史氏 (デンソー・産総研)、西森秀稔教授(東京工業大学)のお二方が1998年に世界で初めて提案されました。当時は理論の提案のみでしたが、2011年にカナダのスタートアップ、D-Wave Systems社がその理論を再現したコンピュータを製作したのです。私は、学生時代に西森先生の研究室で指導を仰いでいたので、量子アニーリングのことはよく知っていました。正直、その頃は量子アニーリングがこれほど注目を浴びると思っていなかったので、実際に取り組んだのはそれから数年後になります。
量子アニーリングのすごさを知ったのは、2015年頃です。在日カナダ大使館で、カナダの技術の展示会が開かれ、D-Wave Systems社の量子アニーリングのデモンストレーションが行われました。目の前にいる彼らが触れているのはただのノートパソコンだけ。そこから問題をカナダの量子アニーリングマシンに送り、計算した結果が一瞬で戻ってくるのです。「これは本当にすごいことが起こるぞ!」という直感が働いて、そこから量子コンピュータに本気で取り組みました。
――最初に手掛けられたのが、津波避難の最適化問題と聞きました。
東北大学で量子アニーリングマシンを使い始めた頃、個人的に東日本大震災の被災地を訪れました。海岸線沿いにはまだ瓦礫が残されていて、「本当にここに家にあったんだ」と震えました。訪問の帰り、タクシーの運転手さんが震災を体験した方で、地震直後に娘さんを車で迎えに行った際、渋滞で身動きが取れなくなり、自分たちの車のすぐ後ろの車までが津波にさらわれたと話してくれました。こうした体験談と東北大学の研究からわかったことは、災害時に車の渋滞による逃げ遅れを出さないために、渋滞を解消する仕組みが必要だということです。ルートやタイミングをパズルのようにうまく組み合わせることができれば、渋滞が減ってスムーズに避難ができるようになります。前述のGoogleマップと同様ですよね。それで、量子アニーリングマシンを使って津波が発生した際の避難経路の最適化を考えました。
国際会議でその研究を紹介すると、多くの方から賞賛をいただきました。当時から量子コンピュータに取り組む研究者はたくさんいましたが、量子力学や量子コンピュータの基礎研究的なものばかりで、量子アニーリングの技術を実際の現場で応用することを始めたのは、私たちが最初でした。
――スタートアップ、シグマアイを立ち上げられたのも、その頃ですか?
国際会議での発表で民間企業からの注目も集まり、「当社のパズルのように難解な問題を解いてください」というご相談をいただくようになりました。それで2019年にシグマアイを創業し、企業と一緒に問題解決に取り組んでいます。
たとえば、工場の中でできあがった製品を運ぶ無人搬送車をいかに効率よく稼働させるかという場合、無人搬送車同士が渋滞を起こさなければ、運搬の効率を上げることができます。考え方は震災時の車の渋滞解消と同じです。
この工場の場合は、相談をいただいてから1ヶ月後に工場を見学しました。さらに1ヶ月後に私たちのほうで「こうすれば渋滞を解消できる」というプログラムを提案させていただいて、相談をいただいてから3ヶ月後には量子アニーリング技術を使用した無人搬送車のシミュレーターが完成しました。シミュレーターによって、この荷物はこの無人搬送車に運ばせる、この荷物を運ぶ無人運搬車は一旦停止させて道を譲るといった指示を送ることができるようになり、工場内での渋滞は解消されました。
――ご相談から実装までの期間がとても短いと感じます。
今までは、難しいパズルをどう解くのかを考えるのに時間がかかっていましたが、そこはもう量子アニーリングマシンに任せればいいと思います。それよりも人間がするべきことは、量子アニーリングマシンに解いてもらう問題を捻り出すこと。現状を見て、どのような課題があるかということを見つけることです。そうすれば、あとはマシンが膨大な情報を処理して回答を出してくれるからです。
自然現象の研究が
最先端の情報科学に貢献する
――西脇先生の研究室にいらしたというのも、量子コンピュータとの縁を感じます。
そもそも私がコンピュータに関心を持ったのは、中高時代にアニメーション研究同好会でアニメ製作に挑戦していたことがきっかけでした。ちょうど会社や自宅でパソコンが使われるようになった頃で、コンピュータの原理なんて全くわからなかったですが、これを使えばアニメ作りが楽にできると思いました。それまでは1枚ずつ手描きした絵を撮影してコマ送りしていたのに、コンピュータを使うと1枚の絵を描くだけでコマ送りまでできてしまうわけですから、すごいですよね。
また、その頃に『ファイナルファンタジー7』という3DグラフィックのRPGゲームが登場して、映画みたいな美しい映像を、実はコンピュータを使えば自分でも作ることができると知りました。その中で、私が一番興味を持ったのが「レンダリング」という作業です。コンピュータで作成した3Dモデルを2次元の画面にする際の技術なのですが、それは、「光源の光が物体に当たって目に届いて見える」という物理現象を全部シミュレーションしているものとわかって、それ以降、私の中では「コンピュータ」と「自然現象のシミュレーション」が大事なキーワードになりました。
大学で西森先生の研究室に入ったのも、先生が磁石の研究をされていたからなのです。子供の時に遊んでいた、あの磁石です。磁石は、「スピン」と呼ばれる小さな磁石が集まってできています。これがきれいに並んでいると強い磁石になるのですが、その中に不純物が混ざるとスピンの向きがきれいに揃わなくなり、バラバラになってしまいます。この現象を専門用語で「スピングラス」と言うのですが、実は、このスピングラスの考え方が、コンピュータにも応用できるのです。
磁石に不純物を混ぜるとバラバラになるように、コンピュータもきれいな情報が揃っている状態に不純物としてエラーが乗ると、いつかは復元不可能なレベルにまで情報が壊れてしまう。そう考えると、どれだけ不純物が混ざると誤りやエラーが起こるのかを解明すれば、情報科学の分野に貢献できますよね。それからは、夢中になって研究しました。
今回の受賞対象の中に含まれているのですが、量子コンピュータでどれくらいのエラーがあると、量子コンピュータとして正しい機能を果たさないかという限界点を理論的に決めるという研究も、この磁石の研究があったからできました。人生って無駄じゃないなと思います。
――今後は、どのような研究を進めたいとお考えですか?
私の研究は、これまでも5年に1回くらいの割合でテーマが変わっています。飽きもあるし、成果を発表してみんながそれを真似してくれれば、自分はやらなくてもいいかと思えてくるのです。
今は、「量子超越性」に興味があって、取り組んでみたいと思っていますね。2019年にGoogleが「スーパーコンピュータよりも量子コンピュータが早い」という量子超越性を示しました。その時に使われた量子コンピュータの回路を「量子ランダム回路」と言うのですが、量子コンピュータのプログラムをある意味デタラメにしたものなので、これをスーパーコンピュータで再現しようとすると、途方もない時間がかかる。この性質を利用して量子超越性を示したわけですが、逆にいうと量子ランダム回路の性質を調べるのは非常に難しいというわけです。でも、これもスピングラスの研究で培った計算方法と同じアプローチで迫ることが可能で、量子コンピュータの中でどれだけデタラメなことをすると機能しなくなるのか、どの程度までならスーパーコンピュータを超越する性能を発揮するのか、それを自分の物理の知識やこれまでの経験、自分の編み出した計算方法で予言しようとしているところです。
物理の勉強を始めた時は、役に立たないことを売りにした、いわゆる泰然とした基礎研究の学問だと思っていましたが、学生の時に勉強していたことがこうして社会に貢献する要素になっている。量子コンピュータの業界で、今まで私がやってきた経験を活かして、誰も見たことのない、知りようもない結果を編み出して披露していくことを目指そうと思っています。
――最後に、KDDI Foundation Awardを受賞されたご感想をお聞かせください。
いくつになっても賞をいただけるのはうれしいです。私は物理学者なので、自分の研究は世の中の役には立たないだろうとずっと思っていたのです。でも、こうして受賞させていただいたことで、少しは役に立つところもあるのだろうと実感することができました。
これは後進の人に伝えたいところなのですが、勉強、学問というと地味なものです。それなのに社会的には役に立つことを求められるし、結果を焦ってしまう。悩むし、苦しむと思います。でも、日本という非常に質の高い教育水準、たくさんの情報が集まる場所で勉強、学問に邁進して培われた技術、考え方は、永久不変のものだと思います。それを信じて、自分の好きなものとか、自分が衝撃を受けた科学技術とか、素直に飽きるまで勉強してほしい。続けていれば、それを見てくれる人がいるものです、今回の受賞もそういうことだと思えるのです。