プロフィール
1992年、早稲田大学理工学部電子通信学科卒業。1997年、同大学院理工学研究科博士後期課程修了。同年博士(工学)。その後、早稲田大学助手・講師、北九州市立大学助教授等を経て2009年より早稲田大学理工学術院教授、2024年より同大学理工学術院長を務め現在に至る。2019年、早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構次世代コンピューティング基盤研究所研究所長。2022年、スタートアップ株式会社Quanmaticを設立し、Chief Scientific Officerに就任。情報工学分野、量子計算分野におけるアルゴリズム開発の第一人者として政府系委員・プロジェクトや産学連携など、多方面で活躍中。
KDDI財団の審査委員として助成・表彰事業の候補者を評価していただいている、早稲大学理工学術院 戸川望教授に、ご自身の研究の内容やKDDI財団の助成・表彰事業への思いや期待などをお話しいただきました。
集積回路の基盤研究から
広がり続ける応用分野
――先生のご研究について教えてください。
私の研究活動の根本は、集積回路の設計です。学生時代に回路をいかに小さく、速く、そして低電力に作ることができるかに取り組んでから、本当に多くのことを手掛けてきました。
回路を設計するプロセスでは、さまざまな課題が浮上してきます。例えば、近年、特に注目されるようになったことは、回路設計をする上でサプライチェーンをどのようにセキュアにするかということです。この課題に取り組む中で、研究の応用分野の一つとして、ハードウエアのセキュリティという新たな課題に発展していきました。
また、集積回路を効率的に機能させようとした結果、最後は回路内の素子の「組み合わせ最適化問題」に到達しました。この問題を効率よく解ける可能性がある技術が量子計算技術で、量子コンピュータに関する応用研究にも取り組むようになりました。
私の研究のベースはいつも集積回路で、そこから研究対象が広がり、現在に至っています。
――先生の活動分野は多方面にわたっていらっしゃいます。早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構もその一つです。
早稲田大学には大きく“教学系”と“研究系”という2つの役割があります。私は、教学系では「理工学術院の学術院長」という立場にあります。一方、研究系では早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構の中にある「次世代コンピューティング基盤研究所の所長」として研究活動を行っています。
少し仕組みが複雑ですが、早稲田大学では大学院研究科をまとめた組織を「学術院」と呼んでいます。理工系の研究科を統合した組織が理工学術院です。ただ、理工系の中でも、学術院を研究の縦串とすると、他分野の研究と連携する横串のような分野横断的な「文理融合」の研究に取り組む組織もあり、それらを「機構」と呼んでいます。早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構は、7つある機構のうちの一つになります。
同研究機構は、持続可能な低炭素社会の実現を目指し、次世代ICTに関わる研究を行っており、産学連携などを強力に推進しています。私が所長を務める次世代コンピューティングシステム基盤研究所も、機構内のプロジェクト研究室の一つとして、多くの企業との共同研究に取り組んでいます。
また、同機構内のプロジェクト研究所の中でも量子技術に関する研究や活動をピックアップし、研究所横断でまとめた組織を「QuRIC(量子技術社会実装拠点)」と呼んでいます。QuRICでは、量子計算技術のすべてのレイヤにわたって研究開発を行い、これらの技術を社会に還元することを目指しています。
大学で創出された量子技術を
いち早く社会に還元させる
――量子技術については、スタートアップも立ち上げていらっしゃいます。
早稲田大学では、2022年の4月に大学発のスタートアップの創業を支援するベンチャーキャピタル会社「早稲田大学ベンチャーズ」を設立しました。現在までに9社が立ち上がっています。
私たちの株式会社Quanmaticは、早稲田大学ベンチャーズの3例目として2022年10月に設立し、私は技術系の責任者であるCSO(Chief Scientific Officer)を務めています。
本来、大学は非営利の法人のため、優れた技術を完成させ、社会での活用を希望しても、論文発表や共同研究企業の方への委任が最終的なゴールとなることが多いです。しかし、スタートアップであれば、優れた技術を自分たちの手で社会実装させていくことができます。その点は大変面白いことだと思っています。
――実際にQuanmatic社ではどのようなことをされているのですか?
私たちは、量子コンピュータが高いポテンシャルを発揮できるようなソフトウェアを大学で開発し、社会実装を実現していくことを目標としています。
早稲田大学グリーン・コンピューティング・システム研究機構内のQuRICは産業界と連携して量子技術に関するさまざまな共同研究を行いますが、アカデミックな内容が中心となっています。Quanmaticは、QuRICの研究で創出した量子技術を一般企業が活用できるようにインプリメントしていく役割を担っています。
制約のある「組み合わせ最適化問題」の最適解を
量子計算技術で求める
――具体的にはどういったことでしょうか?
世の中には多くの「組み合せ最適化問題」が存在しています。代表例が「巡回セールスマン問題」ですが、複数の地点を巡る最短ルートの最適解を求める際、規模が大きくなるほど最適解を求めるのが難しくなっていきます。そこで、量子コンピュータを用いる方法が注目され、すでに量子アニーリングマシンなどのイジング計算機の商用化も進んでいます。
ただし、一般の方の多くは、量子コンピュータを従来型コンピュータよりも高速で高性能のコンピュータだと捉えているようです。しかし、そもそも量子コンピュータは従来型コンピュータに置き換わるものではありません。従来型コンピュータで行う計算の一部分を量子コンピュータが担うことで計算が加速する可能性があるというもので、駆使するには高度な専門性が求められることから、一般企業で扱うことは難しいでしょう。
そこで、Quanmaticでは高いポテンシャルを秘めつつも扱いにくい量子コンピュータを、少しでも使いやすくするためのソフトウェアを開発し、提供しています。
――量子コンピュータを使いやすくするソフトウェアを作るのですね。
現実社会の「組み合わせ最適化問題」を解こうとすると、実際にはさまざまな制約(ルール)が伴います。そして、量子コンピュータの場合、制約が増えるほど最適解を出すことが難しくなります。そのため、量子計算の効率や制度を高めるアルゴリズムを搭載したソフトウェアを使うことで、多くの制約の中でも正しい答えを出せるようになるのです。
Quanmaticで提供している「QANML(Quantum Algorithms aNd Machine Library)」は、独自のアルゴリズムを搭載し、制約のある最適化計算を実行できるソフトウェアです。ハードウェアや問題に依存しない汎用的なソフトなので、幅広い分野での「組み合わせ最適化問題」の解決ツールとして活用することができます。
■量子計算効率化アルゴリズム搭載汎用ソフト「QANML」
QANMLは、戸川研究室が開発した「ダークスピン法※1」「マルチフリップ法※2」「ビット幅削減法※3」などの手法を組み合わせることで、複雑かつサイズの大きい問題を定式化できるソフトウェアです。
組み合わせ最適化における共通言語である「イジングモデル(or QUBO)」に対して適用可能なアルゴリズムを搭載しているため、ハードウェアや問題(制約など)にも柔軟に対応できます。
※1 ダークスピン法:制約条件を利用して問題を圧縮する
※2 マルチスピンフリップ法:解の収束を促進する
※3 リボアニーリング法:問題規模の制限を緩和する
QANMLは、アプリケーションレイヤーに位置するため、新たなハードウェアやミドルウェアにも適用可能です。
――今後の取り組みについて教えてください。
私自身は集積回路の設計や、そこから派生する量子技術やハードウェアのセキュリティなどに取り組んできましたが、「研究をして終わり」ではなく、研究成果がどのような形でも社会貢献につながればうれしく思います。
これは私だけでなく研究グループ全体としての共通認識であり、少しでも社会に役立つものができるよう、これからも試行錯誤を続けながら研究を続けていきたいと考えています。
情報通信に関する研究は無限
未来に光る原石を見つけたい
――KDDI財団の助成・表彰事業の審査委員をされています。審査の際に心掛けていることはありますか?
最初にお伝えしたいことは、私自身がKDDI財団(当時は国際コミュニケーション基金)から研究助成を採択された一人だということです。もう20年ほど前になりますが、テーマは「集積回路の設計」でした。集積回路の研究は、入口の基礎的な部分のため、出口のイメージをなかなか提案しにくいものです。それでも多くの候補の中から私の研究を採択いただいたことには大変感謝していますし、審査をしてくださった先生方は、私の研究の可能性を評価してくださったと感じています。
そういった経緯から始まったこともあり、自分が審査する立場になってからも、柔軟な発想の研究を見いだしたいという気持ちがあります。もちろん財団の助成には、基盤的な情報通信技術だけではなく、情報通信とほかの組み合わせまで含まれるため、その範囲には無限の広がりがあります。その中からできるだけ発想が面白いもの、すぐには答えにつながらなかったとしても、可能性が感じられるものを見つけていきたいという気持ちで審査を行っています。
KDDI Foundation Awardに関しても同様ですが、「情報通信技術× 〇〇」という視点を軸に、財団の趣旨にふさわしいと思える人を選びたいという気持ちで臨んでいます。
――審査をされている中で、印象に残っているのはどんなことでしょうか。
具体的な事例としては紹介できませんが、「情報通信」というキーワード一つをとっても、提案内容はさまざまです。例えば、「情報通信×医療」、「情報通信×宇宙」など、皆さんの提案から情報通信産業の広がりを感じることができて、純粋に面白いなと感じています。もちろんバックグラウンドがきちんとしていることが前提ですが、未来に向けて夢のある提案をしていただきたいですし、KDDI財団の研究助成なら、そうした夢のある提案が採択される可能性が十分にあると思います。
――今後のKDDI財団の助成・表彰事業に、どのようなことを期待されますか。
あえて申し上げるなら、これまで通り継続されることを期待したいです。常に輝いているわけではないけれど、どこかキラッと光るような提案を見つけ出していくという助成のあり方を、ぜひ続けていただければと思います。採択された研究がこの助成を足掛かりに、さらに大きな研究として羽ばたいてくれることを期待しています。