タイ王国の薬剤耐性菌問題の解決に向けて

京都大学大学院 医学研究科・医科学専攻
(現)名古屋大学大学院 理学研究科 博士研究員

秤谷 隼世

体調が悪くなると病院に行き、処方された薬を飲む。これは私たちが普段ごく当たり前にとっている行動です。しかし、自分の判断で薬の服用を途中でやめてしまったり、残った処方薬を別のタイミングで飲んだりした覚えはないでしょうか? 今、誤った薬を飲み続けることで起こる「薬剤耐性菌(Antimicrobial resistance/AMR)」問題が世界では深刻な問題になりつつあります。「薬剤の不適切な使用を防ぎ、薬剤耐性菌問題を解決するにはどうすればいいのか」。こんな課題意識から始まった秤谷隼世さんと学生メンバーの研究について、その経緯や今後の展開についてご紹介します。

「人の命に貢献する仕事をしたい」と進んだ薬学の道

--秤谷さんの研究されているテーマについて教えてください。

普段は助成いただいたテーマとは違った分野で研究活動をしています。ひとことで言えば、ケミカルバイオロジーという分野になります。化学的な手法を用いて生命現象を紐解いていくような研究分野で、化合物や細胞を用いて疾病の診断や治療につながっていく技術の基礎研究を行なっています。

高校生の頃、「薬ってものすごい力を持っているな」と感じたことがきっかけになり、大学では薬学部を選びました。そして、人類の命に貢献できるような技術を作りたいという気持ちから、基礎研究や治療を目指している研究室に進むことにしたんです。

--研究の中で、なぜ「薬剤耐性菌」に目を向けたのですか?

大学院での僕の副専攻が医学と工学を連携させた「医工連携」で、取り組むべきテーマを探して世の中の動きを調べていたところ、「薬剤耐性菌」問題がここ10年くらいでとても大きな問題になっていることを知りました。もともと薬学部出身の僕には、薬に対するバックグラウンドがあり、社会の課題としても大事なテーマだと感じて、取り組んでみようと思ったのです。

--そもそも、薬剤耐性菌とはどのようなものでしょうか?

薬剤耐性菌とは、抗生物質等の薬剤を自身の中から排除したり分解したりする機構を獲得した細菌のことです。つまり、薬剤耐性菌が体内でに増えると、薬を投与しても効かなくなってしまうのです。それがどのくらい深刻かというと、2050年まで薬剤耐性菌が拡大し続けると、これに起因して亡くなる人は、ガンで亡くなる人を超え、1千万人にのぼると言われるほどです。
このまま何もしなければ約30年後、僕らの子どもたちの世代には、ガンと同じくらい恐れられるものになっている可能性があるのです。今取り組まなくてはいけないというレポートが国際連合やWHOからも出ています。

国際連合の掲げる、持続可能な開発のための2030アジェンダ、「SDGs(Sustainable Development Goals)」の17の目標のうち、3つ目の目標に「すべての人に健康と福祉を」があります。この目標を満たすべく、薬剤耐性菌問題は今やグローバルに解決すべき急務だと思います」と秤谷さん。

途上国における薬剤耐性菌保菌者の拡大を防ぎたい

--なぜ、体内に薬剤耐性ができてしまうのでしょうか?

まず、細菌がどのようにして薬剤に耐性化していくかというと、細菌も抗生物質や抗菌薬の攻撃をただ受けているわけではなく、生き延びていくために自らの性質を変えていきます。図1にあるようにさまざまな防衛手段を取り、そこで生き残ったわずかな細菌が薬剤に耐性化していくのです。

図1:薬剤耐性のメカニズム

※図は、国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 AMR 臨床リファレンスセンター作成『薬剤耐性のメカニズム』(https://amr.ncgm.go.jp/)より引用。

図2:薬剤耐性が生まれるまで

※図は、国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 AMR 臨床リファレンスセンター作成『知ろうAMR、考えようあなたのクスリ 薬剤耐性』(https://amr.ncgm.go.jp/)より引用。

次に、薬剤耐性菌が体内で増殖するプロセスを図2で説明していきましょう。
僕たちの体の中には、たくさんの微生物や細菌がいます。乳酸菌とか大腸菌などはみな皆さんも聞いたことがあると思います(①)。ただ、体内にいる微生物や細菌の一部は病原性を持っていて、それが増殖するなどしてと病気になる、つまり、感染症にかかった状態になります(②)。
そこで皆さんは病院に行き、薬を処方してもらって飲むのですが(③)、図1で説明したように薬から生き延びるために微生物や細菌の一部の性質が変わり、薬に耐性を持つものが出て来ることがあります(④)。
本来は生き残った菌まで完全に排除するために処方薬を全て飲み切る必要があるのですが、症状が治まったからと途中で薬をやめてしまう人もいます。その結果、菌が排除しきれずに体内でまた増殖してしまうのです(⑤)。しかも、薬剤に耐性を持っている菌が増殖していますから、これまで飲んでいた薬が効かなくなる可能性が高くなります。

--ちなみに、1種類の薬剤に対して1種類の耐性菌ができるのですか?

基本的には1つの薬剤に対して1つの耐性菌と言いたいところですが、中には複数の細菌や微生物に対応する薬もあり、そういう薬を誤った使い方で飲んでいると、1つの薬剤でも複数の細菌や微生物が耐性化してしまう可能性もあります。

これは診療の場でも非常に難しい問題で、正直に言えば病気の原因は検査をしてみないとわからないものですが、患者さんは今すぐに薬を出してほしいわけです。そのため、お医者さんが複数の菌に効果の期待がもてる薬を処方してしまうことがもよくあります。たくさんの菌に効くということは、たくさんの耐性菌を作り出しやすいわけですから、お医者さんとしても悩ましいところだと思います。

--秤谷さんはタイを対象に調査・研究を進められたそうですが、それはなぜですか?

一人あたりの抗生物質の使用量・市民の薬剤耐性菌所持者の割合を見ると、インド、タイ、ベトナムといった途上国で割合が大きいことがわかりました。日本では医師の処方箋がないと手に入れられない抗生物質も、これらの国々では街中の薬局で容易に購入できてしまいます。

また、一般の人たちは薬局で風邪薬や下痢症の時の抗生物質を頻繁に購入し、使用しているようですが、実際に風邪や下痢といった症状のガイドラインを参照すると、抗生物質の投与がすすめられる症状はほとんどありません。つまり効果の期待できない薬を、薬局は無意識に販売し、一般の人たちも無意識のうちにそれを購入して飲んでしまっている。こうした不必要な薬剤の使用で、知らないうちに体の中に薬剤耐性菌を作り出しているわけです。

僕たちはこの課題の解決を目指し、タイの薬局スタッフへの教育と一般の人たちのセルフメディケーションの意識向上に取り組むことを考えました。そして、学生メンバーでプロジェクトを組み、実際に「病名予測bot」の開発を始めたのです。

「タイのマヒドン大学で実施された研究では、急性下痢症の患者に抗生物質を使わない治療を行なったところ、3日後に74.9%が治癒し、1週間後には96.6%が治癒したという結果が得られています。ほとんどの下痢症状には抗生物質の投与が必要ないとわかります」と、秤谷さんはタイで不必要な抗生物質の投与がされている現状を話す。

現地の人向けの「病名予測bot」から日本人の海外渡航者向けに方向転換

--「病名予測bot」とは、どんなものですか?

「病名予測bot」は、「お腹は痛い?」「便の様子は?」といった数個の質問に答えるだけで、「あなたはこういう菌に感染している可能性があります」と判定をしてくれるプログラムで、タイでの利用を前提に、初めからタイ語で開発をすることにしました。

ただ、「病名予測bot」を製作しながらも、僕たち自身がこれを薬局のスタッフ教育のために使うのか、あるいは薬局を利用する一般の人たちの教育に使うほうがよいのかで迷っていました。そこでタイ現地まで足を運び、「病名予測bot」の使用についてヒアリングを行うことにしたのです。
ところが、現地で「このbotを使いますか?」と質問をしてみると、薬局のスタッフ、一般の人たちも「使わない」という結果になってしまって…。当時の僕たちは、とにかく「タイ語のbotを作るんだ」「タイの人たちに役立ててもらうんだ」と、そればかりを考えて開発に熱中していましたから、現地のニーズが見込めないと知った時には、正直、どうしようという気持ちになりましたね。

--それは大変なショックでしたね。

はい。それでも現地に足を運んだことで、大きな気づきがありました。僕たちの研究は、ここから“タイの薬局スタッフや一般の人たち”向けではなく、“日本人の海外渡航者”を対象とした「病名予測bot」の開発に転換していくのですが、その背景にはこんなエピソードがあるんです。

「病名予測bot」のヒアリングでタイに滞在していた時、プロジェクトのメンバーの1人がお腹を壊してしまい、その時に「もしかして、現地に行って下痢するのって、僕らやん!」と。メンバーの症状は下痢には至らなかったのですが、お腹を壊したというのは本当で、「このbotを使えば?」みたいな感じになりました。この出来事があって、僕たちの開発している「病名予測bot」を必要としているのは、実は自分たちではないのか、日本人向けのニーズがあるのではないかと気づかされたんです。迷っていた時でしたから、本当に救われた瞬間でした。

--そして開発したのが、海外渡航者向けの「病名予測bot」なんですね。

そうです。タイ向けに作ったものの日本語版ですね。ガイドラインや論文、そして専門家の助言を元にアルゴリズムを作り、「お腹痛いですか?」「頭痛いですか?」などの質問に答えていくと、原因とされる細菌などが出て病気がわかるようになっていて、自動的に現地の言葉で処方箋も作ってくれます。さらに、グーグルマップの地図上で自分のいる場所から近く、かつ信頼できる薬局の場所まで案内できるようになっています。

そして、もう一つこのbotで重要なのが、病名によって薬が必要かどうかを判断するという点です。薬が不要と判断した時には、服用を提案しません。自分の症状が薬のいらないケースとわかれば、不適切な薬を飲むこともなく、薬剤耐性菌対策になります。

図3:日本の海外渡航者向けに開発した「病名予測bot」

--日本語版の「病名予測bot」の反応はいかがでしたか?

おかげさまで好評をいただきました。現在は新型コロナウイルスの影響で自由な渡航が難しい状況ですが、調査をしていた当時は、東南アジア諸国に対応するものを今すぐにでも開発してほしいという声が病院や大学から上がっていました。基本は言語を変えるだけですから、今後、タイ以外の国にも対応できるものを作っていきたいと考えています。

今回の薬剤耐性菌に関する調査・研究プロジェクトのメンバーは、全員が京都大学と大阪大学の学生たち。写真左は、一緒にプロジェクトに取り組んだ京都大学の木谷百花さん。
タイで現地調査を行なった時の1枚。「写真の女性(右から2人目)は、タイでヒアリングをした人で、肺炎にかかった時に薬の適正使用で回復したという話を聞かせてくれました。不必要な薬剤の使用を防ぐことの重要性を実感して、研究のモチベーションになりました」と秤谷さん。

現地で調査したことが次の研究へとつながっていく

--「病名予測bot」と並んで、細菌の簡易検査法も研究をされているのですよね?

僕たちは、KDDI財団さんの助成金を申請する前にもタイでヒアリング調査を行なっていたのですが、現地病院や薬局では、「細菌の簡易検査が大変」という話が出てきました。
この検査法は「グラム染色」という技術で、血液や尿、痰から取れるサンプルを紫色の染色液につけ、どういう色に染まるかで菌を判別するというものなのですが、この検査のために検査技師が1日中顕微鏡に張り付いて、一つひとつ調べていることがわかりました。

こうした作業が自動化されていないのは、実は日本も同様で、プロフェッショナルな検査技師の人たちが、ずっとこの作業にかかりきりになっているのです。今は新型コロナウイルスのPCR検査もあって、さらに作業負担は大きくなっていますし、検査結果の返却にも時間がかかってしまいます。
そこで、この検査工程を自動化すればもっと検査が楽になるのではないかと考えました。人の判断だけでは間違えることもありますし、AIで菌の種類を見極めることは正しい薬の使い方にもつながるという思いもありました。現在、「病名予測bot」を開発したメンバーと一緒に、新たなプロジェクトとして取り組んでいるところです。

この他にも、LGGという乳酸菌を実際に人に投与することで、薬剤耐性菌の獲得予防につながるかもしれないという仮説を検証する研究も進めています。こちらは医学的には「介入」とよばれる手法です。時間と労力と丁寧に見ていかなければいけませんし、倫理的な観点からも、ゆっくりと進めているところです。
一部のLGGに下痢予防の効果が期待できることはわかっているものの、これが薬剤耐性菌の獲得予防につながるかどうかはまだわかっていません。「コロナに〇〇が効く」のような誤った理解を生まないように注意しながら、薬の適正使用につながる知見が得られたらと期待しています。

--こうした研究が進むのは、とても心強いことです。私たち自身も、適切な飲み方をしているかを意識することが大事ですね。

いまだコロナ禍にあって、薬剤耐性菌と新型コロナウイルスの関係が気になる人もいるかもしれません。最後にそのことを少しお話しさせていただきます。実は、ここにも深刻な問題があるのです。

去年のニューヨークタイムズ誌に、「新型コロナウイルスに抗生物質、抗菌薬が全く効かないにもかかわらず、お医者さんは何もしないわけにいかず、約80%の患者さんに抗菌薬を投与していた」という記事が掲載されました。つまり、これは抗生物質の不適切な使用であり、新型コロナウイルスが薬剤耐性菌の拡大を非常に加速させていのではないかといわれています。
コロナはウイルスで、微生物や細菌とは違います。そして、抗生物質や抗菌薬は微生物、細菌には効果が期待できますが、ウイルスには効きません。

皆さんには、ぜひ、正しい薬の飲み方を意識していただきたいですね。まずは薬剤耐性菌問題を知っていただいたことで、明日からの行動も変わるのではないでしょうか。
僕たちは、現在も薬剤耐性菌に関わる研究に全身全霊で取り組んでいます。このテーマは、僕にとってのライフワークだと今は思っています。

「ペニシリンという抗生物質が開発されたのは、今から約100年くらい前のことです。以来、毎年数億人という人を救い続けているこの薬が、今、薬剤耐性菌によって脅かされているんです」と、秤谷さんは不必要な薬剤使用の危うさを説明する。

「助成期間を終えて」

僕たち学生メンバーの研究も対象にしていただき、大きく背中を押してもらいました。

この調査・研究は、僕の大学での副専攻研究のテーマでした。指導教官や研究費は全くつかず、プロジェクトメンバーは完全に学生だけです。
社会性の高いプロジェクトですし、社会の期待に応えながら行うべきだという気持ちがあって、大阪大学医学部医学科の山田達也さんと二人で、民間の助成金を積極的に申請していこうと決意しました。 山田さんには本当に感謝しています。彼とは最初から、「研究成果の実社会への還元」という強い志を持って本研究を進めてきました。彼なしでこのプロジェクトは成立しなかったと思います。

KDDI財団さんの助成事業は、大学院生も対象になることがとてもいいと思います。学生の僕のことなんて、審査される方々は名前も聞いたことがなかったでしょうが、他の教授たちの研究と並んでフラットに見ていただいていると感じました。
自分たちで研究費を調達しなければいけない中、学生の手弁当ではできない調査や研究を進められたのは、この助成をいただいたことも大きかったと思っています。

最後に、財団の方々には手厚く面倒を見ていただきました。締め切りギリギリの申請も受け付けてくださり、タイに知り合いのいなかった僕たちに人的リソースの面でもサポートをしてくださいました。本当に大きく背中を押していただいたという気持ちです。この調査・研究を通して途上国医療の一助を担えたのは、ひとえに財団のおかげです。従事できたことを誇りに思います。

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