例えば、空調や照明が自動で快適に保たれたり、スマートウォッチを腕につけるだけで脈拍や体温が管理できたり。私たちの何気ない暮らしの中にもIoT(Internet of Things)の技術が多く使われています。そして、このIoTのベースとなっているのが、センサネットワークの技術です。複数の無線センサ(センサノード)で情報を収集・集積することで、より広範に制御が行えるだけでなく、単体のセンサではできない高度な情報管理も可能になります。
現在、センサネットワークは、さまざまな方面で研究が盛んに行われていますが、橋本昌宜先生はその中でもセンサノードの超小型化に着目され、その実現のために研究を進めておられます。今回の助成期間中は、1辺が1cmにも満たない超小型センサノードに電力が供給できる無線送受信・給電デバイスの開発をテーマに、調査・研究を実施されました。
暮らしを便利に、豊かにするセンサネットワークの可能性。
--先生の研究されているテーマについて教えてください。
「集積システムというものの研究をしています」と答えています。専門的な言葉では、VLSI(Very Large Scale Integration;大規模集積回路)を中心としたシステムなのですが、スマートフォンやパソコンの中で情報処理の中心となっている回路部分だと考えていただいていいと思います。
世の中が便利になるほど集積回路の設計はどんどん高度化していて、単に膨大な量の計算ができるということではなく、より複雑な機能や多様な使い方が求められるようになっています。それに応えられるように取り組むというのが、僕の研究の方向性かなと思っています。
--この分野に興味を持たれたのは、いつ頃ですか?
中学生の頃からパソコンに興味はありましたが、なんとなく「これからの世の中、電気電子の技術がもっと必要になるだろうな」と漠然と思っていた程度で、大学もその延長で受験したようなところがあります。
この分野(集積回路)に進もうと思ったきっかけは、大学3年生の時にたまたま大学の図書館で、『NHKスペシャル 電子立国 日本の自叙伝』という番組のアーカイブを見たことでした。日本の半導体(集積回路)が強かった平成元年頃の技術の進化や技術者の考え方を追いかけた番組だったのですが、それに刺激されたというのが一番大きかったと思います。
--先生が取り組んでおられる超小型センサノードと、集積回路はどのように関わっているのでしょうか?
センサネットワークは、センサノードと呼ばれるセンサ部分とプロセッサ、通信回路からなる集積デバイスで構成されています(図1)。複数のセンサをさまざまな場所に配置し、ネットワークとつなげることで、状況を素早く把握したり、多様な機器を制御したりすることができるわけです。近年のVLSI技術の進歩により、立方mm級の超小型ノード内における信号処理や演算処理が可能になりました。非常に小さいセンサノードは、あらゆるものに組み込めるという利点があり、IoTをはじめ幅広い分野での活用に期待が集まっています。
図1:センサネットワークの図
ただ、そこで課題となるのが、どのように電力を供給するかということです。電池駆動にすれば設置は簡単ですが、超小型ノードの場合、電池交換のない無線電力送電が必要です。しかも、僕たちの目指すような立方mm級となると、給電の仕組みから考えなければなりません。
超小型のセンサノードで、面白いことができる
--ところで、先生がセンサノードの超小型化に取り組もうと思われたのはなぜですか?
僕が以前にいた研究室で、たまたま全然違う分野の人と出会ったことがきっかけでした。彼は人間とコンピュータの関わりについて研究をしていて、何か面白いことができないだろうかと話していた時に、小さいデバイスがあったらどうだろうというアイデアが出てきたのです。
また、ちょうど同じような時期にアメリカで小体積のデバイスを開発している人がいたことも、超小型化を目指した理由の一つです。最終的に目指すものは違っていましたが、どこかライバルがいるような感覚があって、立方mm級のデバイスを作ろうと盛り上がったところはあると思います。
--確かに、小型化することで面白いことができそうですよね。
僕たちのアイデアが行き着いたのは、無線小型センサノードを多量に埋め込んだ実世界オブジェクトを変形させることで、直感的かつ容易に3次元形状の情報をリアルタイムにモデリングできる実世界指向インタフェース(図2)の開発でした。
3次元の形状のものを2次元のコンピュータに入力するのは、とても難しいですよね。普通に考えれば、どうすればいいのかわからないと思います。そこで、僕たちは3次元形状をそのままデータに変換することを考えたのです。
例えば、粘土で3次元形状を作ったら、そのままパソコンにその形が入力されて、粘土の形を変えると、その変化がリアルタイムにパソコンで確認できるというイメージです。これが実現すれば子供の教育に役立てたり、医療の分野でも活用できたりするのではないかと考えています。
図2:3次元形状をそのまま入力できるユーザーインターフェース
超小型化を実現するための3つのハードル
--今回の助成期間には、どのようなことを行なったのですか?
僕たちの研究では、一辺が5mm未満で電池交換不要なセンサノードの実現を目指していましたが、そこで問題となるのが通信と給電の構造でした。
多くの小型センサノードは、電力を取り出す整流電気回路や送受信回路とアンテナの仲立ちをする整合回路まではチップ内に実装していても、アンテナ部分はチップの外に出す方式をとっています。そのため、回路の実装体積にアンテナ部分の体積が加わると、ノード全体の実装体積は大きくなり、立方mm 級に収めるのは困難とされていました。
実際、体積を小さくする時、物理的に難しい点が大きく3つあるんです。
1つは、超小型ノードの体積に蓄えられるエネルギーがとても少ないということです。例えば、1辺の長さを1/10にすると、体積は1/1000になってしまいます。蓄えられるエネルギーも1/1000になってしまうので、継続して利用するためには、この問題を解決しなければなりません。
また、もう1つの難点は、小さすぎて電池交換ができないことです。先ほどの粘土の例のようにセンサノードを使うとしたら、1mmに満たないような電池を無数に交換することになりますから、全然現実的ではありませんよね。そのため、なんらか無線でセンサノードに給電しなければなりませんが、小さすぎてアンテナをちゃんと作れないのです。これが3つ目の難点になっています。
--アンテナも含めて、一辺が5mm未満になるとすると、アンテナもかなり小さくしなければなりませんね。
そうです。でも、アンテナのサイズというのは、基本的に信号の周波数によって変わり、周波数が下がるほどアンテナのサイズは大きくなります。
一般的な無線LANで利用するアンテナのサイズは数cmから10cmほどですが、今回の超小型センサノードでは通常よりも低い周波数を利用するため、本来ならその分アンテナは大きくなるわけです。つまり、単に小さなアンテナが作りにくいだけでなく、「小型化したいのに、大きなアンテナが必要」という、相反する問題を抱えることにもなりました。そこで、僕たちは別の発想でアンテナと向き合うことにしたのです。
今回の助成期間中は、このアンテナ問題に注目して、専用のアンテナでなくても近距離であれば別の手段で無線通信できるのではないかという仮説のもと、それを実証するための実験を行いました。
--センサノードのコイルをアンテナとして利用されたのですよね?
周波数を作るには、決められた周期で発振する回路を作らなければなりません。そのためにコイルを使うのですが、電波の送受信には、このコイルとは別にアンテナを接続するというのが一般的です。
ただ、考えてみると、ノードのコイル自体も電磁界を作っているわけです。ということは、コイルからも電磁波が飛んでいて、さらに、その電磁波を通信に利用できるのではないかということに気づき、それを実験で確認することにしました。
図3:実験のために開発した小体積低エネルギー無線送信機
実際の実験でわかった、電源線の活用方法
--実験では、どのようなことがわかったのでしょうか?
これまで厳密な電磁波測定を行なったことはなかったのですが、今回は、電波暗室(外部からの電磁波の影響を受けず、内部でも電磁波の反射を起こさないように電波吸収体などを施した部屋)を借りて実験を行いました。
実験前から、センサノードのコイルから電磁波が出ていることは想定していましたし、実際に、実験でもそれを確認しました。しかし、どうも結果が予想通りではないのです。コイルの電磁波であれば、センサノードがこの向きの時に一番電磁波が強くなるはずなのに、なぜかそうなっていない。その理由を探ったところ、電源線からも電磁波が飛んでいたのです。
電源線というのは、センサノード内のバッテリーやコンデンサと発振回路をつなぐ短い電線部分です。その後、電源線の長さを変えて測定をやり直した結果、適切な長さの電源線を用いればより強い電磁波が出ることが確認できました。つまり、近距離で通信する程度であれば、電源線がアンテナの役割を担える可能性があるわけです。
もともと電線から電磁波が飛ぶこと自体はわかっていたのですが、一般的にはそれが外部に影響を及ぼすことを防ぐ対策として、EMCやEMIという電磁ノイズに関する規格で設計や製造が行われることになっています。ところが、今回のように小さなデバイスを作る場合には、この電磁波が逆に活用できるということがわかったのです。
もちろん、セキュリティ問題への対処も必要になるでしょうが、そういう課題も含め、将来取り組んでいくテーマになるかもしれないと思っています。
--これからのセンサネットワークは、どのように進化していくのでしょうか?
つい最近、僕の研究室の学生が博士号を取るために、この研究の論文を発表しました。彼のテーマを一括りにすると「アンビエントインテリジェンス(環境知能)」という分野になります。何かの環境(空間)の中にインテリジェンスが埋め込まれていて、人間が気づかないところで環境を理解し、人間にフィードバックするようなシステムづくりを目指したのです。
例えば、超小型センサが部屋の壁の内部にあったり、コンクリートの中に埋まっていたりしたらどんなことができるのか。あるいは、テーブルの表面全体がセンサになっていたり、靴底がセンサになっていたりしたら何がわかるのかなど、無線給電できる超小型センサだからこそできることを、いろいろと議論しました。
図4:立方mm級無線送信・無線給電デバイスの応用
こうしたことが可能になれば、今まで情報があると思っていなかったところから、しかも人間が無意識に行動している環境から情報を得ることができるようになります。
防犯カメラのように映像で撮るという方法もありますが、部屋じゅうカメラだらけで無意識の行動はできないし、そんな部屋で過ごすのはやはり嫌ですよね。カメラのようにプライバシーを侵害するものではないけれど、常にモニタリングできる環境ができたら面白いと思いますし、さまざまな環境に変化をもたらすのではないかと思います。
--今後の先生の研究については、どのようにお考えですか?
今回の実験についてはかなり汎用的なものですから、僕たちの研究に関心を持った人が、これをさらに応用して新しい研究を考える、という形で発展していくといいと思っています。全部自分たちでやるというより、他の研究者のイマジネーションを広げるようなデバイスを作り、提供できたら面白いでしょうね。
今の世の中、何でもスマート化したい、インテリジェンス化したいということを多くの人が考えていますし、いろいろなアプローチがあります。その中で、本当にすごいインパクトを与えることができ、他のものには代われないという条件を自分たちに課しながら研究に取り組んでいけたらと思っています。もちろん、パッと成果が出てバラ色の結末にとはなかなかいかないのが現実ですけれども(笑)。
『助成期間を終えて・・・』
これほど関わりを深められた助成事業は初めてでした。
KDDI財団の助成事業に申請した直接的な理由は、これまで進めていた研究プロジェクトの助成期間が終了するタイミングにあったことです。研究を続ける上で、超小型センサノードの集積回路チップを作り、実際の無線状況を実証してみたいという思いがあり、KDDI財団の予算規模であればそれが実現できると考えました。
実際に助成対象に選ばれて感じたのは、財団のスタッフと話をする機会が結構あったことです。財団法人から助成を受けることが久しぶりだったので、最近はこのように変わっているのかもしれませんが、僕の若い頃は、助成金をもらって報告書を出すだけという非常に関わり方が淡白だったように思います。
KDDI財団の場合は、スタッフの方たちといろいろ話をしたり、自分の研究をアピールする場を提供していただいたりして、非常にいい経験ができました。正直、自分の名前を検索した時に、こうしたインタビューが表示されるのは、とてもありがたいことだと思っています。