プロフィール
2012年 東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(社会情報学)、情報・システム研究機構新領域融合研究センター融合プロジェクト特任研究員に着任。以降、2014年 東京大学附属図書館新図書館計画推進室・大学院情報学環特任講師、2016年 株式会社情報通信総合研究所研究員、2018 年東洋大学経済学部総合政策学科准教授を経て、2021年 一橋大学大学院法学研究科ビジネスロー専攻准教授、2022年より同専攻教授。また、大学院で学生に指導する一方で、自身の研究蓄積をもとに内閣官房、内閣府、デジタル庁などでの法政策に関わり、IT 分野の企業、産業界における自主規制ルールの構築・運用にも貢献している。
誰もが日々当然のように利用しているインターネット。技術革新が進み、誰もが発信力を持ち、また、生活の利便性が向上する一方で、プライバシー問題、フェイクニュース、ディスインフォメーションといった社会的なリスクがあることも認識されるようになりました。デジタル技術によるイノベーションを続けながら、どのようにその利活用を規制していくのか。生貝先生は、法律とビジネスの両側面からルール形成のあり方の研究に取り組んでおられ、政策への提言やデジタル関連ビジネスにおける自主規制のあり方の提案など、幅広く貢献されています。
デジタル情報社会における
法律やルールのあり方を探る
――先生のご研究分野とはどのようなものですか?
大きなテーマとしては情報法、デジタル技術に関わる法律・政策のあり方について研究しています。「情報法」というのは、情報の生産や流通、消費などの事象をどのように法体系に規律するかを研究する、比較的新しい法学分野です。私はその中でも特にデジタル社会における「共同規制(co-regulation)」のように、従来の「法律によって物事を細かく規制する」という方法以外のルール作りに焦点を当てた研究をしています。
――この研究分野を選ばれたきっかけは、どのようなものだったのですか。
私は高校生の頃から法律に興味があり、大学に進学した当初は法律の勉強に力を入れていました。ところが、私の通っていた慶應大学藤沢キャンパスは、インターネット黎明期に他に先駆けてインフラを整えているような学校で、“インターネットの本拠地”のような環境に身を置きながら、私自身も「せっかく勉強するのなら、新しい世界に挑戦してみたい」と思うようになりました。そこで、法律のゼミと同時にインターネットビジネスに関する経営学の研究室にも所属したのです。
インターネットビジネスの研究に取り組んでみると、デジタルプラットフォームのビジネスモデルに非常に関心が強くなり、大学生の頃は経営学の分野に力を入れるようになっていきました。そして、インターネットビジネスを研究するほど、そこで生じる問題については可能な限り企業や産業界の自主規制、いわゆる「ソフトロー」に多くを委ねることが望ましいのではないかと考えるようになりました。
ただ、大学院で法律の研究室に入ってみると、企業や産業界の「ソフトロー」に任せるだけではうまくいかないことがわかってきました。とはいえ、法律でガチガチに規制しようとしても、技術革新の進むインターネットビジネスにおいては困難なものです。そこで、どちらも両極端が難しいのであれば、素直に真ん中を考えるのが一番良いのではないかという思いに至ったのです。
インターネット社会の
「光」と「影」を見る
――それが、現在のご研究テーマでもある「共同規制」になったということですね。
そうです。国が作る法律(ハードロー)と、企業や産業界の自主規制(ソフトロー)を組み合わせた「共同規制(co-regulation)」というコンセプトに関する議論がヨーロッパを中心に盛り上がり、実際に発展してきていました。そのことを知って本格的に勉強するようになりました。
私が「共同規制」の勉強を始めたのは2005年のことです。この頃のことを、勝手にインターネット規制における「第一世代」と呼んでいるのですが、当時の日本では、著作権やプライバシーをどうやって守るかということが課題となる程度でした。私が経済学の研究室で学んでいたように、「デジタルプラットフォームビジネスは、世界の全てを良い方向に持っていってくれる」と思われていた時代です。それが2010年を過ぎた頃から、モードが大きく変わっていきました。「インターネットにはリスクもあるんじゃないか」「きちんと規制しないといけないんじゃないか」という考えが出始めたのです。2013年頃になるとディープラーニングが横行してきて、OECD(経済協力開発機構)や総務省がAIの便利さと安全性、倫理観などを考えることを提唱するようになりました。
インターネットには、私たちにとって非常に便利な「光」の部分だけでなく、多種多様なリスクという「影」の部分があります。しかも、非常に汎用的な技術であるだけに、リスクの種類も大きさも、なかなか事前に測ることができません。
そして、もうひとつ特徴的なことは、グローバルであることです。インターネットは国内だけで閉じることがないだけに、日本だけで独自性の高いルールを作っても、誰の得にもならないのです。だからこそ、「ヨーロッパの法律」のような国際的なルール形成の場が重視されてくるのです。
ヨーロッパのデジタル政策を参考に
日本のデジタル政策を考える
――海外のデジタル政策で参考にされているのは、どのようなことでしょうか。
デジタル政策の中でも、データ、プラットフォーム、AIの3つは、よく「情報法」の3大テーマと表現するのですが、ここ5年、10年ほどで重要になってきています。第二世代に入り、これらがさまざまな形でデジタル空間を大きく変えつつあります。そして、それらに関するルール作りの中で、いろいろな意味で世界を席巻しているのが、欧州連合(EU)の作る法律です。EUは、27カ国がまとまってルールを作って主張しているため、世界的な影響力も大きくなります。日本でもプラットフォームに関わる「デジタルプラットフォーム取引透明化法」やAIに関わるガイドラインがありますが、それに比べると、ヨーロッパの法律の方が柔軟に作られています。
例えば、フェイクニュース、ディスインフォメーション、あるいは青少年への悪影響をどうやって低減するのかなどについて、日本の法律では、その対策を大規模デジタルプラットフォームに義務として求めています。しかし、次々に出てくる新たなリスクを、法律で規制しきることは不可能です。EUの「デジタルサービス法」の場合は、枠組みの中で官民の協力が規定され、これは「ソフトロー」、「行動規範」「行動コンタクト」とも表現されますが、国とプラットフォームの共同規制の枠組が非常に重視されています。
また、AIに関わる規制も同様で、日本では多様なAIに対してリスクを低減させるための義務を課すこと、特にハイリスクなAIについてはきちんとしたデータガバナンスをしなければいけない、あるいは、いつでも人間が止められるようにしなければならないといったことが言われています。しかし、AIという広い技術に対して何かの義務を課すといっても、技術的な設計に落とし込んでいくには法律の言葉だけでは無理があります。EUの「AI法」では、具体的な中身は官民のマルチステークホルダーでしっかりと決定し、「整合規格(ハーモナイズドスタンダード)」として標準化するという形をとっています。やはり、官民での共同規制が重視されているのです。
――データ・プラットフォーム・AIという3つのテーマで先生が特に注目されているのは、何になりますでしょうか。
個人的には生成AIが面白いと思っています。よく「ビフォー生成AI」「アフター生成AI」と言ったりするのですが、以前のAIといえば、「情報を処理する機械」を指していました。ところが、生成AIの登場によって「情報を生み出すもの」になったわけです。フェイクニュースやディスインフォメーションが問題になっていますが、新聞にものを書いたり、さらにクリエイティブな仕事も生成AIに置き換えられるようになると、「情報法」の中に情報生産者である生成AIをどのように位置付けていくのかを、考えなくてはいけません。これは「情報法」の発展の中でも大きな意味合いを持つのかなと思います。
――先生のご担当分野もさらに広がっていくように思います。
「情報法」はどこまでかというのは、とても悩ましい問題です。「個人情報保護法」や「プロバイダ責任制限法」、「放送法」、「電気通信事業法」など、情報に直接関わるレイヤーであることは間違いないのですが、最近は大抵のものがデジタルプラットフォームに乗ったり、AIで駆動するようになったり、データによって様々なものが作られるようになってくると、なんでも関係があるような感覚になってきます。
例えば、シェアリングエコノミーの分野で考えてみると、仕組み自体がデジタルプラットフォームに関わってくるので「情報法」の領分のようですが、これがライドシェアであれば「道路運送法」ですし、民泊であれば「旅館業法」、ペットを預かるホテルなら「動物愛護法」も関わってきます。さらにAIで考えてみると、自動運転や家電品の安全性など、サイバーとフィジカルの連携が進んでいく中で、どうしてもカバー範囲が広がっていかざるを得ないところがあります。
とはいえ、際限なく広がっていくもの全てに対応していては、研究分野としての固有性がなくなってしまいます。改めてデジタル政策の位置付けとは何かと考えてみると、それはデジタル技術、情報技術の継続的なイノベーションに対応できるような、柔軟かつ確実なルール作りであり、ルールの枠組みを考えていくこと、そこに本来的な役割がある気がしています。
国際的なデータ流通を牽引するには
グローバルサウスの存在は外せない
――先生は現在、一橋大学大学院で社会人学生の方を対象に指導をしておられます。情報ビジネス社会の人材育成について、どのようにお考えでしょうか。
私は「情報法概論」と「デジタルビジネスと法」という授業を担当しています。学生の皆さんは、平均すると10〜15年くらい社会人を経験した上で、改めて法律を学びたいという方たちです。物事が急速に進むデジタル社会においては、法律学の研究者に求められるモードがかなり変わってきています。ビジネスそのものが変化していきますし、法律のあり方についても、もはや国内だけで論ずることはできないのです。
例えば個人情報保護法ひとつをとっても、GDPR(General Data Protection Regulation:EU一般データ保護規則)を参照せずに論じることはできませんし、同様に、デジタルプラットフォームやAIについてもグローバルな視点は欠かせません。研究者には、外国も含めて「その時に一番優れた重要な知識」を見つけて理解できる力、多様な学術的フレームワークで書かれたものにしっかりアクセスできる力が必要なのです。
また、研究によって得られたものを企業活動につなげていくことができる力も求められていると思います。「共同規制」という考え方に基づけば、国の作ったルールを企業や産業界がそのまま受け入れるということは本格的になくなっていきます。様々なビジネス主体がプラットフォームになっていく中では、本来規制されるべきビジネス主体そのものがルールメーカーになるのです。
大学で改めて法律を学んだ方がまた企業に戻ってルール作りに携わっていく。そして、その知見を再び学校にフィードバックしていただくという循環を作っていくことが重要ですし、それが国の力にもつながっていくと思うのです。
――先生が今後、取り組みたいと考えておられる、注目されていることをお聞かせください。
やりたいことはいっぱいありますが、あえてひとつ挙げるなら「グローバルサウス」には非常に興味があります。グローバルサウスは、一般には南半球のアジアやアフリカなどの発展途上国を指して使われます。
2010年頃まで「情報法」の議論に当たっては、ヨーロッパとアメリカだけ参照すればいいという認識でした。しかし、2010年代半ばになると、中国を抜きには語ることはできないという考えが広がり、日本でも優れた研究業績や実務の解説書が出るようになりました。そして、2020年頃からは、開発途上であり、南北の経済格差という問題からもグローバルサウスに国際的な関心が集まるようになってきています。
しかし、こうした国際的な動きの一方で、日本ではまだグローバルサウスに対する認識があまり進んでいないように感じています。去年のG7で日本が「DFFT(Data Free Flow with Trust:信頼性のある自由なデータ流通)」を提唱し、グローバルなデータ流通に対して重要な役割を果たし、ルール形成するという決意を表明していますが、グローバルサウスという世界の半分を視野に入れずにその役割を果たすことはできないでしょう。どのように研究していくのかは難しいところですが、今後の動きをしっかり見ていきたいと思っています。
――最後に、KDDI Foundation Awardを受賞されたご感想をお聞かせください。
KDDI Foundation Awardは、技術的分野から法律・経済分野まで、学際的な視点で情報社会全体の発展に対する様々な貢献を評価されています。そのような中に、私の研究を混ぜていただいたことを大変光栄に思っています。私は、大学院生時代にKDDI総研(現KDDI総合研究所)の研究員として、情報法を勉強する機会をいただいたことがありました。情報通信ビジネスの傍らでルール作りの問題意識を発展させることができたのは非常に大きなことでした。その後様々な経験を積み、十数年を経てこの賞をいただいたことに特別な感慨深さがあります。